働く理由:誰もが生きていてよいのなら、私も生きていてよいのかも。

 ある時期から、自分はすこし他人の悪感情に敏感になった気がする。どういう思考回路なのか、誰かが攻撃されているのを見ると自分が全否定されたように感じて、その場でうずくまりたい気持ちに駆られる。いま思うと、部分的ではあるが共感性羞恥に似ているかもしれない。

 メディアから聞こえてくるような、性犯罪や家庭内暴力の被害者へのバッシングとか、生活保護バッシングとか、ハラスメントとか、暴力暴言とか虐待とか、国籍や障害やなんやの差別とか、あとは通りすがりに聞こえた誰かの怒声とか、そういったものに触れると発動する。ああ!自分はここにいてはいけない、死ななければならない、死ぬと迷惑だから消えたい、最初からいなかった生まれてこなかったことになりたい! そういう考えで頭がいっぱいになる。そうなったら深呼吸をする。

 そして差別や蔑視に対する抗議を目にすると、自分の存在を許されたような、安心感を得ることができる。

 

 公立の小中学校には、学級か学年にひとりくらい何かしら障害のある児童がいると思う。もちろん自分の同級生にも上にも下にも障害のある子がいた。同じクラスには、重度自閉症と思われる子(仮にAとする)と、軽度だが特定の勉強に困難がある子(仮にBとする)の2人がいた。後になって親から聞いたところ、自分の出身小学校は地元でも比較的特別支援の環境が整っているところだったらしく、思い起こせば「障害とは何か」みたいな丁寧な授業があったり「障害がある子の独特なやり方を妨害しない、からかわない」「通級は割と普通」というような空気はPTA含め学校全体に共有されていたように思う。

 しかし中学校に上がるとだんだんそれが難しくなってきて、通級の担当教員の特別支援に関する専門性は小学校にいた教員より高くなかったし、Aも教師もいないところでAの声真似をする非障害児がいたり、障害による衛生面の困難さやパニックや問題行動に巻き込まれないために障害児から周囲が距離を置いたりといったことは増えていた。

 自分は落ち着いている時のAが好きで少しなら唾も平気だったし、何よりクラスで孤立しがちだったのもあって、Aには小学生の時と同じに対応していた。前述の同級生たちの振る舞いを見ていて、いやな、でも一部仕方ないような気分になっていた。

 ある時いじめの授業で、Bが、小さい頃いじめられていた経験を告白した。いじめっ子が誰かをBは言わなかったが、Bが言ったいじめの内容から、自分は自分がいじめていたのだと確信した。驚愕したし、自覚のなかった自分に絶望した。暴言暴力はなかったらしいが一緒に遊ぶのに遊び方の決定権はすべて自分にある、というような、説明しにくいがそういったいじめを自分はしていた。Bを動く人形かなにかのように扱っていたのだ。そのとき自分は、まったく最悪なことに、誠意のない謝罪は無意味だ、どうしたって誠意なんか示せない、今後一切関わらないようにBの視界に入らないようにするしかない、と勝手に思いこみ自己完結してしまい、結局現在に至るまで、Bには謝っていない。

 あの授業の後すぐBに謝るか教員に自分のしたことを申し出るべきだったが、逃げてしまった今はもう、Bのいる地元になるべく戻らないこと以外の方法がわからない。許されないことだ。

 

 話がそれたが、そこまででもない紆余曲折を経て、現在自分は障害者福祉サービスを提供する事業所で生活支援員として働いている。ざっくり言うと障害者の生活に必要な介護等を仕事としている。ついでに数年前、軽い病気をして障害者手帳を取得した。

 この仕事に就いたのは、進路を考える際、生きていることに許しが欲しいと考えたことが始まりだった。つい生きのびてしまったが、前述の共感性の恐怖感のようなものと罪悪感と自己嫌悪が交わって、基本的に自分は生きていてはいけないのだということが前提になっている。なので、これは福祉分野全般に言えることだが、社会のセーフティネットに当たる仕事をする=どんな人間も生きていていい・生きていられる社会をつくる一端の歯車となる=自分も「生きていていい」の範囲に入れてもらえる、という思考回路により、現在の仕事にありついた。

 障害者支援に贖罪意識を持ち込むなと怒られそうだし、自分がいじめ加害者だったことを告白する勇気もないので誰にも言っていない。許しを請うなどただの自慰行為だ、〇ね、と言われそうだ。情けないことに死ぬ勇気さえない。

 

 これが、恥ばかり、逃げてばかりの自分が働く理由である。

 ここまで読んだ稀有な人、ありがとう、なんかいいことありますように。